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リチャード・ベイマー (再考2)

 ごく一部にしか記憶に残っていないでしょうが、1964年の「フリーダム・サマー」、ミシシッピにおける黒人の投票権運動があって、リチャード・ベイマーがそこにヴォランティアとして参加していました。深い考えはなかった、と本人は語っていますが、回りは、映画スターのこういう行動にははらはらしっぱなし、だと思われます。

 やはり、というべきか、その後はさっぱり出演作はなくなりました。

 なぜ気になったかといえば、以前のウィペディアでは「父親は画家」というのと「トニー役で有名になるも、以後あまり目立った活躍はない」と言うのに引っかかったからです。a printerを画家としているのはまあいいとしても、思っていいのと、書いていいのは違います。

 まだ、まだ、ウィペディアには間違いが多くて、えらそうに翻訳している人に多いです。

 最近しょうがなくて直したのは、「ラモン・ノヴァロ」のものでした。ひとつはメキシコ革命のときに一家そろってカリフォルニアに引っ越したというものと、ノヴァロが男娼2人を呼んで、20ドルしか現金を置いていなかった、というものです。今日とは物価は違うにしても、すぐ後にタクシー代13ドルとありますので分かります。

 両方ともに、英語の構文が日本語と違うところから来ていて、翻訳ソフトをつかうとこういう文章になるようですが、詳しい原文の資料を読んでみると、メキシコ革命時のノヴァロ一家の行動は、小説や映画になりそうなくらいにドラマティックで、一家は全員で十数人いたので、離散と集合を繰り返して革命をやりすごしたものでした。一家でカリフォルニアに移住なんぞできる時代ではありません。ようやっとノヴァロと兄弟二人だけがたどり着いたようです。

 若いころに苦労したからか、ノヴァロは金銭感覚がしっかりしていて、無駄な金は使わないし、手元には置いておかなかったようです。そんな人が男娼に払う現金を持っていなく、二人も呼びますか?事実は自分が直したように逆だったんですが、それを誰も疑問に思わず、そのままコピーして自分の記事にしているのが情けないです。