シャイアン・ジャクソンを応援するブログ

I support Cheyenne Jackson without permission from Japan.

GIANT (Boys Will Be Boys)

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 ここのところクロスオーヴァー(クラシックとポップス)が盛んでした。ボチェッリやらイル・ディーヴォやら、オペラの主役にはちょっと、という人たちのポップスへの進出、と個人的には思っていますが、、、。あるいはラッセル・ワトソンのようにポップス畑からの進出、ヴィットリオ・グリゴーロのようにオペラ畑からの進出がありました。

 オペラ歌手はホールのすみずみにまで、マイクなしで声を届けるのが最低限の条件なので、マイクを通して聞く声と、ライヴで聞ける声とは違ってきます。もう一方の方たちは、マイクを通していかにうまく聞こえるかに神経をそそぐので、比較対象外となります。この中ではラッセル・ワトソンのCDを一時期購入していましたが、今聞いてみると、むらのない真っ直ぐな声できれいなのですが、音色の変化がなく表情に乏しい、と感じてしまいました。

 ミュージカルのステージでは、歌って踊って、さらに演技して、が求められるので、マイクを通してとはいえ、また違う能力が求められるのですが、シャイアン・ジャクソンのコンサートでの歌だけで、というのはいかなるものか?

 例として、2013年のミュージカル「Boys Will Be Boys」の「GIANT」があります。

 オリジナルキャストの、Ryan Speakmanの歌う「GIANT」。

 https://www.youtube.com/watch?v=kvCy81cjvdo

 終始、役の中で歌っています。評論家あたりだと表現力がすばらしいとかいいそうですが、声の音色が一種類で、表現のためお芝居に接近しています。

 そして、シャイアンの歌う「GIANT」。

 https://www.youtube.com/watch?v=zOWkmSQcCAA 

 声だけで勝負していますので、途中で音色が変わります。最初はスタンダード、そして喜びの、悲しみの、と移っていって、最後に「歌手」になります。ここのあたりが、役から歌手への移行といわれるところだと思います。